- 『今、神聖なる私に還る時〜プロローグ』
- 『今、神聖なる私に還る時〜生のモチベーション』
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今、神聖なる私に還る時〜終焉の心を定める
神聖なる者とは何か?
それは
解放を得た者のことだ。。。
解放を得た者とは何か?
それは
自由をその肉体の振動とする事が叶っている者のことだ。。。
人間が
それを至難の業だと錯覚することなく
選ぶことが出来たなら
それが『神聖なる者』に還ったということなのだ。。。
さて〜
人生を始めた「あなた」にとって、最も大切な事を伝えよう〜
それは…
『終焉の心を定める』ということだ。。。
そのことは〜
これまでの地球では、教わることもなく…
選ぶこともなかったことだが〜
【死の瞬間の心の状態を決めておく】というのが、本当は、最も重要なことなのだ。
人間は、“死”について語ることや、イメージすることを忌み嫌い、目を背けて生きる…
しかし…
この在り方こそが、“どう生きればよいのか?”がわからなくなり…
人生で迷子になる要因なのだ。
人間は、もっと、誇らしく、朗らかに、“死”と向き合えばいいのだ…
それは〜
「私は、笑いながら終焉を迎える」
「私は、胸いっぱいに感謝の想いを溢れさせて死を迎える」
「私は、楽しかった!!ありがとう!!と言って肉体から卒業する」
などと…
自由に描けばいいのだ。。。
誰もが、いつかは、必ず、“死”を迎える…
だからこそ、陰湿に隠すのではなく…
この“尊き”“輝かしき”人生のエンディングを自由自在に描くという“叡智”を思い出すことが必要なのである。。。
なぜなら…
その思い描いたエンディングは、必ず、叶うという宇宙の決まりがあるから・・・
そして…
その素晴らしきエンディングと同等の日々が繰り広げられることになっているからだ。。。
“死”という深遠な宇宙のリズムを恐れ、拒絶し…
苦しくて、悲しい、忌まわしきものとみたならば…
人生を謳歌することは叶わない…
しかし…
人間が、我が人生の終焉を暖かき、微笑みをもってイメージできたならば…
その人の人生は…
“宇宙の愛の流れに逆らわず”“死という荘厳なる瞬間の心で日々を送る”という物語になるのである。
これこそが〜
人間が開くことの出来なかった“宇宙の奥義”である。。。
どんな人生にするのかを考えるよりも・・・
私の使命は何かと探すよりも・・・
目的、目標を見つけるよりも・・・
どうにかして願いを叶えたい・・・
どうすれば思い通りの人生になるのかと悩むよりも・・・
『終焉の心を定める』
それこそが、最も、重大かつ、重要な、あなたの“役割”であり…
あなたと宇宙が繋がり続ける“合言葉(愛言葉)”となるのである。。。
そんなあなたは…
もう、迷子ではない。。。
《つづく》