- 『今、神聖なる私に還る時〜プロローグ』
- 『今、神聖なる私に還る時〜生のモチベーション』
- 『今、神聖なる私に還る時〜終焉の心を定める』
からの続きになります
今、神聖なる私に還る時〜愛を忘れて愛に還る旅路
人間は、求める
人間は、探し続ける
人間は、どうしようもなく、枯渇し、満ちることがない
もしも、満ちているという感覚を人間界に見つけたとしても
又
何かを求め、探し、彷徨う。。。
そう〜
それは、ある意味、あるべき姿であると言える。。。
人間とは“何か”
人間の“生”とは“何か”
人間とは、この人生という時間空間を使って…
一体、何をしているのか?
何も、今更、難しい話をしようということではない…
宇宙とは、とてもシンプルなのだから〜
複雑怪奇に見せているのは…
人間のシステムが起こしていることなので…
宇宙に還るとそれがわかる。
さて…
話を戻そう〜
人間とは“何か”
人間の“生”とは“何か”
人間とは、この人生というフィールドを使って…
一体、何をしているのか?
それは…
たった一言で言い表すことが出来る〜
人間とは…
“愛を忘れ”
“愛を探し求め”
“愛を見つける”という壮大な遊びにふけっている…
どんなに探してもみつけられない場所で・・・。
しかし〜
この遊びには、ゴールにたどり着けるように…
いくつかのヒントとなる感覚が初期設定されている…
例えば…
人間の“飽くなき欲求”という衝動的感覚は…
「自分自身が大切な何かを忘れている」という記憶を完全に消去しない為の設定であり…
「一時的に充足感や、満足感を得たように感じても、又すぐに渇望を感じる」のは…
人生で得たそれらのモノが、『本当に探し求め、見つけたいモノ』ではないということのシグナルとしての設定なのである。。。
そう〜
それらの設定が渡すヒントを基に…
人間は…
“愛を忘れ”
“愛を探し求め”
“愛を見つける”という壮大な遊びにふけっている…
どんなに探しても無い場所で・・・
こんな言葉に…
納得がいかないという人間(エゴ)の声があることを重々承知の上ではあるが〜
宇宙の視点から伝えるならば〜
人間の世界に“愛”はないとしか言わざるおえない…
何故なら〜
人間界に“愛”を用意しなかった張本人がこのメッセージを伝えているからだ。。。
人間は…
それでも、“愛の代替え”を探し、手に取り、確かめては…
絶望するという事を繰り返しながら…
少しづつ、少しづつ…
“本当のこと”を思い出すように出来ている。。。
それは〜
欲望に導かれて“手に入れ”
手に入れたものに“執着し”
執着によるハレーションたる“緊張の波に飲み込まれ”
憎しみ、嫉妬、怒り、枯渇、絶望を繰り返し〜
又、“心を満たしてくれる何か”を
探し、彷徨う。。。
人間が…
お金を得たいと思い…
良きパートナーに出会いたいと想い…
健康でありたいと願うことも…
良いこと、悪いことという判断や、評価を学び…
道徳観、倫理観、常識を駆使して生きようと務めるのも…
全てが…
胸深くにある…
現象世界では、見つけることの出来ない…
“それ”を
見つけることをゴールとしているということを…
完全には忘れてはいないからなのだ!!
人間は、“得体のしれない何か”
とてつもなく、心、身体、魂の全部を瞬時に満たしてくれる“何か”を…
求め、探し、彷徨う…
求めつづけ…
探しつづけ…
さまよい続けた者が…
疲れ果てて…
心静かになった時…
ようやく…
その旅路の答えにたどり着く〜
「私は…
“それを忘れ”
“それを探し求め”
“それを見つける”という壮大な遊びに夢中になっていたのだ。」
そうして〜
「もう、外側に、“それ”を探し、求める必要がない…
“それ”は、外側に探しても、そこには無いものだという事を思い出せたから〜」
といって
“絶対的な安心の心”
“崩れることのない平和な心”
“溢れる至福感”に満たされる〜
そう!!
その“絶対的な安心の心”
“崩れることのない平和な心”
“溢れる至福感”こそが…
探し求めた“それ”…
“愛”という究極なる切望の還る場所なのである。。。
“それ”は…
探し求めた“愛”は…
我がハートに…
見つけ出される瞬間(とき)を…
固唾をのんで待ち続けてくれていた・・・
人間が…
どんなに探してもみつけようもない場所で…
宝物を探す遊びに心酔していても…
それでいい…
それがいい…
疲れ果て…
へとへとになるまで…
大いに遊べばいいと…
ただ…
愛おしく見つめていた…
愚かでも良い
哀れでもいい
醜くくてもいい
“愛”が…
人間から…
離れることは絶対にないのだから。。。
《つづく》